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関西と「金」の関わり|日本と金の豆知識

日本の歴史を語るうえで非常に重要な地域である関西。関東が幕府の中心となった江戸時代においても、関西を語ることなく歴史を紐解くことはできません。そんな重要な地域である関西に対しては豪華な印象を抱いている方が多いのではないでしょうか?実際のところ、関西には金にまつわるエピソードがたくさんあるのです。ここでは、関西と金の関わりについて詳しくご紹介します。


【目次】

関西と「金」①金閣寺

関西と「金」②豊臣秀吉の埋蔵金

関西と「金」③淡路島の1億円金塊

まとめ


関西と「金」①金閣寺

関西で金といえば、多くの人が思い浮かべるのが金閣寺ではないでしょうか?きらびやかな寺院は京都を代表する観光地の一つであり、日本人のみならず、海外からの観光客をも魅了し続けています。実は、金閣寺という名称は、通称であることをご存じでしょうか?金閣寺の正式名称は、鹿苑寺(ろくおんじ)であり、臨済宗相国寺派の寺院の一つなのです。

元は鎌倉時代の1224年に建立された西園寺という名称で、このときはまだ金箔づくりではありませんでした。その後、1397年に足利義満が譲り受け金閣寺として建て直されましたが、1950年に金閣寺は放火によって一度全焼し、1952年に再建されて今に至ります。


関西と「金」②豊臣秀吉の埋蔵金

埋蔵金という言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?かつての偉人が、有事に備えて隠し持っていた金銀財宝が今もなお残っているのではないかという説です。日本三大埋蔵金はとりわけ有名で、なかでももっとも埋蔵額が多いと言い伝えられているのが「豊臣秀吉の埋蔵金」です。

1954年には、時価23兆円の金銀財宝を豊臣秀吉が多田銀山に埋蔵したという記事が新聞に載り話題となりました。

同記事中で埋蔵金の話をしたとされる学者が、のちになって記事の内容を全否定したことから真偽のほどがうやむやになり、徐々に話題にもならなくなりました。このような話が出た背景としては、埋蔵金について記録された古文書が誤読され、その情報だけが独り歩きしたのではないかと推測されています。

現代においては、それほどの資産を秀吉が持っていたはずがないとされており、実際に多くの探索者が埋蔵金を探したものの、小判の1枚も発見されていないのが現実です。しかし、「なにかしら秀吉の埋蔵金があるのではないか」と情熱を燃やし続けている人はいまだにいるようです。


関西と「金」③淡路島の1億円金塊

一定の年代以上の方なら、「1億円金塊」という言葉を聞いたことがある方は多いでしょう。1988~1989年に実施された「ふるさと創生事業」で各自治体に1億円が交付されました。その際、淡路市では1億円金塊の展示を目玉にして観光客増を狙いました。この金塊は1億円を担保にしたレンタル品であったため、金の取引価格が高騰した関係などにより、平成22年にレンタルを終了。現在はレプリカが展示されているということです。


まとめ

関西地方はかつて政治の中心地でした。そのため、歴史的にも多くの金が売買され、たくさんの金が流通していました。きらびやかなイメージが強い関西では、現代においても貴金属や宝石といった需要が高いとされています。また、中古需要も高いため、中古買取市場も比較的活発といえるでしょう。金は、貴金属に加工されていたとしても、常に一定の需要があります。

株や為替のようにその価値は刻々と変動するものの、株や為替の価値が不安定になった場合には、金の価値は非常に強くなります。長期保有していれば、金買取を依頼するときの情勢によっては、購入時よりもかなり高く売却できる可能性もあるでしょう。もし、使っていない金があるようなら、購入当時の価格を調べたうえで、買取依頼をするのもいいかもしれません。


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