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小判の相場は?高いものだと1枚200万以上のものもある!

江戸時代には14代将軍徳川家茂の時代までに、小判が10種類作られました。一見同じように思える10種類の小判。取引価格はほぼ同じと思う人も多いでしょう。小判の鑑定には判定するポイントがいくつもあります。江戸時代に流通した小判の種類や取引価格の目安、見積もりに出す際のポイントなどを確かめましょう。

【目次】

江戸時代に作られた小判は10種類

江戸幕府の財政に伴い、小判の品質は落ちていく

現在の価値は発行量や品質によってバラつきがある

売却時、正確な鑑定額はプロに見積もりしてもらおう


江戸時代に作られた小判は10種類

江戸時代に作られた小判は10種類に上ります。最初に作られたのが1601年の慶長小判でした。サイズは72×40(ミリ)重さは17.84(グラム)だったといいます。この小判、現在あったら、どれくらいの金額で売れるのでしょうか。もちろん買い取りをするお店により異なりますが、相場は100万から130万といわれています。

そのほか、元禄小判、宝永小判、正徳小判、享保小判、元文小判、文政小判、天保小判、安政小判、万延小判があります。現在の買取目安はさまざまで、1枚200万円を超えているものもあります。また、大きさはもちろん、金、銀の含有率や価格の差もさまざまです。


江戸幕府の財政に伴い、小判の品質は落ちていく

徳川家康が作った「慶長小判」は2代秀忠と3代家光、4代家綱の時代まで続きました。しかし、5代綱吉の時代に財政難から金の含有量を減らした「元禄小判」が新しく作られました。「慶長小判」に約15グラム程度含まれていたのに対して、「元禄小判」は約10グラムしか入っていませんでした。

5代綱吉はどうしてそのような品質の悪い小判をつくったのでしょうか。実は、金の含有量を減らし、「慶長小判」2枚分の金の量で「元禄小判」3枚をつくれるようにしたのです。千万両の「慶長小判」を回収して「元禄小判」をつくり直せば、千五百万両になります。五百万両がプラスとなり、それは幕府に入る仕組みで、懐が温かくなるという計算だったのです。

小判を安上がりにしたことで財政は回復したかのように思われましたが、回復は一時的なもので、残念ながら計算通りにはいきませんでした。品質が悪い小判は貨幣価値を下げるので、思うように財政を回復することにはならなかったのです。

「元禄小判」をつくるために「慶長小判」は回収することになりました。しかし、賢い人は品質の良いこの「慶長小判」を手放すことなく埋蔵したとされています。「江戸時代初期の「慶長小判」が思いのほか現在に残っているのは、実は「元禄小判」のおかげでもあるのです。

品質的には、6代家宣時代の「正徳小判」で、一度は「慶長小判」のレベルに戻されます。しかし、8代吉宗時代の「元文小判」で、金の含有量がまた減らされることに。それ以降は金の含有量が増やされることはなく、金の含有量が少ない小判ばかりとなりました。


現在の価値は発行量や品質によってバラつきがある

金の含有量が多い小判は高めで取引されるのが一般的です。しかしそれ以上に、現存する枚数が少ないと価値が上がります。先に上げた「元禄小判」がいい例です。

高値になる理由は、「宝永小判」に代わったときに、「元禄小判」が回収されたことがひとつ。そして、そもそも金の含有量が少なかったので、劣化し、壊れたものが多かったからとも伝えられています。状態が良い「元禄小判」は少ない上に、価値が低いとされていたので当然埋蔵されることなく、現存枚数が少ないと考えられています。

結果、質が悪い小判で有名ながらもトップクラスの価値を誇ります。「元禄小判」は江戸時代には喜ばれませんでしたが、現代の人には大変喜ばれる小判となったのです。

もう一つ、価値に差がつく理由を説明しましょう。ほぼ同じ金の含有量の「慶長小判」と「正徳小判」の金額に差があります。古さでいうと「慶長小判」が当然上になりますが、「正徳小判」の方が一般的に高値で取引されています。

その理由は、通用された期間が4カ月と短く、発行量が少ないからです。小判の状態によっても価値は左右されますが、希少な小判は高く評価され、取引されている金額が高額となります。


売却時、正確な鑑定額はプロに見積もりしてもらおう

小判は、金の含有量と現存する枚数、状態の良さなどを総合的に考えて鑑定されます。古美術品にもあたるため、歴史的な背景までも知っていて、鑑定理由を明確に説明できる人にお任せしたいですよね。


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